南北朝正閏論纂(5)

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 さて『南北朝正閏論纂』には、南朝正統説だけでなく、北朝正統説も紹介されています。本の性格から言って、少々違和感もあるかと思いますが、要約してご紹介してみます。

《北朝正統説の歴史》

●南北朝時代〜桃山時代
 北朝派公家の洞院公賢(とういんきんかた)は、南北朝史研究に欠かせない重要な記録を残している事で有名で、私もしばしば引用させてもらいましたが、『皇代記』『歴代皇記』『園太暦』で北朝正統の立場を明確にしています。しかし、その正確な記録は皮肉にも南朝正統説を唱える研究家にとっても重要な研究資料になっています。
 ところで『太平記』は、南北朝対立説の代表のような書物ですが、実際よく読むと北朝のみを正統として一貫しています。したがって『南北朝正閏論纂』でも北朝正統説の代表書物として分類しているようです。
 始めて知ったのですが北朝の小槻春富が『神皇正統記』のパロディのような『続神皇正統記』を書いて北朝の正統を説いています。
 そのほかにも各種ある書物は特別南朝の存在を意識せずに北朝の正統を述べている物が多く、当時一般に北朝の正統が信じられていたとあります。
●江戸時代初期(慶長〜貞享)
 この時期も室町期と同じく北朝正統が一般論だったようです。当時作成された『大日本国帝王略紀』には南朝系図は全く書かれていないとあります。
 北朝正統説に疑問をいだいた林道春の子供の春斎は北朝正統を明言し『続本朝通鑑』を著しました。また『日本王代一覧』で後醍醐の隠岐還幸はあきらかな重祚であるとして、北朝正統説の根拠としました。この林春斎も、当初は父の影響をうけて南朝正統論者でした。
 鵜飼信之は『本朝編年小史』、釈円智は『大日本帝王年代目録』で北朝正統説を述べ、以後の北朝正統説研究者の重要な基礎資料となったのだそうです。
●江戸時代中期(元禄〜天明)
 この時代の北朝正統説を学問的研究はほとんど見られないそうです。あるのは全て通俗書物ばかりで、伊藤東涯の『帝王譜略国朝紀』、巨勢玄仙の『本朝歴史略評註』、貝原益軒の『和漢名数』、長井定宗の『本朝通紀』などがあります。  当時は南朝正統説が教養者の証明であるかのごとく流行した時代でもあり、『建武至明徳帝都南都両統之問答』のように、北朝は正統なるがゆえに繁盛したと堂々と主張するものは影をひそめていました。
 

著作:藤田敏夫(禁転載)

 

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