【土偶の詩人 坪井正五郎 6】
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《白井光太郎の追悼》
 1913年(大正2年)、生涯を熱血の論争に明け暮れた坪井正五郎は、大きな花火が弾け消えるように永眠しました。享年50歳。
 坪井正五郎の葬儀の日、そこにはあの生涯最大の論客として戦った白井光太郎の姿がありました。

『あはれ君おなじまなびの友垣に、せめぎしことも昔なりけり』

 白井光太郎の追悼の句には、宿敵のように戦った論客の姿はみじんもありませんでした。坪井正五郎を最も理解した男、生涯心の通じ合う真の友であった白井光太郎は仏前に無念の焼香をするのでした。
この後、坪井正五郎の残した考古学、人類学は、飛躍的に進歩し、文化の分岐点としての縄文弥生時代区分の重要性が証明されたり、神話教育で歪められた日本人のルーツを科学的に解明するための作業が、現在でも彼の意志を引き継いだ多くの学者達によって続けられております。
参考資料:『考古学の人々』斎藤忠著(第一書房)
     『日本考古学選集 坪井正五郎集(上・下)』斎藤忠編(築地書館)
     『日本の遺跡発掘物語 弥生時代』森浩一企画監修(社会思想社)
     他若干
 
著作:藤田敏夫(禁転載)
 
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