鎌倉滅亡悲話
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このお話は、古典太平記を原典にして、書き下ろしたものです。

太平記は勝者側よりもむしろ敗者側に多くのページを割いており、鎌倉攻防戦の話では、その大半が滅び行く北条一族を、事細かに描写している章になっております。華々しく戦う勝者側の新田軍の行動などは、あまり細かに書かれていません。

鎌倉攻防戦といえば、唱歌「鎌倉」にも出てくる有名な稲村ヶ崎で海神に祈る新田義貞のくだりなど、むしろ全体の話の展開からみたら、付け足された余談程度の扱いになっております。

ここに、第二次世界大戦以前には、憂国の勇士による勇猛果敢な戦記であるかのように曲解されていた太平記のイメージにない、作者の真意があるように思って、つづってみました。

【 1】 常葉前の場合 【 8】 長崎高重の場合
【 2】 安東左衛門聖秀の場合 【 9】 赤橋守時の場合
【 3】 狩野五郎重光の場合 【10】 塩飽聖遠の場合
【 4】 大仏貞直の場合 【11】 北条高時の場合
【 5】 金沢貞将の場合 【12】 北条信忍の場合
【 6】 長崎勘解由左衛門為基の場合 【13】 五代院宗繁の場合
【 7】 本間山城左衛門の場合
 
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