「本当の栃木県の歴史」は、私が独自の自由な発想の元に楽しくお話するものです。学問的なお話は、その道の専門の方にお任せすることにして、閑話としてお楽しみください。そして、ぜひみなさまのご感想もお寄せください。
 
飛駒は名馬の産地ではなかった?
 
栃木県の安蘇郡田沼町の北部山岳地帯に「飛駒(ひこま)」と呼ばれる一帯があります。アウトドアブームで、飛駒には田沼町で運営するキャンプも可能なすばらしい森林公園があります。
その森林公園の中の案内板に「するすみの道」「いかるぎの道」といった言葉があるのに気づきました。これは平家物語、宇治川の先陣争いに出てくる名馬の名前で、飛駒地方に古くからある伝承では、この二頭の名馬を生んだのが、飛駒地方だと言われています。飛駒とは、飛ぶように走る馬の産地という意味なのだそうです。
では、実際には、どうだったのでしょうか。平家物語の時代、関東の名馬の産地として知られていたのは、現在の千葉県北部一帯、「相馬御厨(そうまみくりや)」と呼ばれていた地方が有名です。源頼朝の元で大出世した千葉氏は、この相馬の領主でしたから、「するすみ」や「いかるぎ」は、この相馬からの献上馬だったのかもしれません。
馬の放牧には、広大な草原が必要になります。平地がほとんどない山間部の飛駒では、歴史に残るような名馬を産出できるほど大がかりな放牧はとても無理だったと思われます。
では、飛駒の名前の由来は、なんなのでしょうか。実は、この飛駒の中心地には「駒形神社」があり、以前は神楽が奉納されるなど、村のすべての中心だったのだそうです。
駒形神社は、高麗の神を祭る神社で、高麗国からの植民が関東平野の開拓をしたとき、開拓民の心のふるさととして、むらの中心地に祭ったのが現代に残る駒形神社です。つまり飛駒の駒とは高麗の事なのです。
飛駒とは、そこにすむ人たちの祖先である高麗人の誇りあるふるさとの地名だったのです。「こま」を冠した地名は関東各地にあり、東京都の「狛江(こまえ)」や、埼玉県の「高麗川(こまがわ)」など、いずれも高麗人がふるさとを偲んでつけた名前です。
宇治川の先陣争いに話を変えて飛駒の伝説を楽しく語るのも、また楽しくて良いことですが、飛駒地区の皆さんには、苦労してこの山間部を切り開いた先祖を誇りに感じて、駒形神社の前の狛犬(こまいぬ)を見上げていただきたいなと思わずにはいられません。

追記(2008/5/21)
田沼町飛駒は、現在合併で佐野市飛駒町と名を改めており、上記は一部現状と異なる記述がありますことをお許し下さい。
なお最近飛駒の森林公園に行きましたところ、両案内板は、取りのぞかれておりました。

 

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