奇将足利尊氏:第4話【浮島が原】

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六波羅陥落のわずか数日前の元弘3年5月2日の夜の事、足利屋敷は、ただならぬ異変に騒がしかった。屋敷警護という名目で、実際は幕府執権よりの見張りに出張してきた衛兵の目を盗み足利高氏の子、千寿王(せんじゅおう)がいずこへか逃走したのだった。足利高氏謀反の明かな証拠とする幕臣の注進に事の重大さを知った北条高時は、六波羅に使者を送った。足利高氏は謀反を計画している。ただちに捕らえよという内容であった。しかし鎌倉からの連絡が、一歩遅かったのは前回紹介した通りである。
千寿王を逃したのは言わずと知れた高氏の母、上杉清子であった。その日の夜半、警邏の兵に気づかれぬように忍び入った一人の男があった。男は、千寿王と、高氏の妻登子の寝入る寝室に近づくと、そっと部屋の中に忍び入った。
「なにもの!」
登子はすぐに気づき、部屋の隅に置いてある長刀に手を延ばそうとした。
「おちつきください。私は若殿より命を受けた配下の者で紀五左衛門(きごのざえもん)と申す者にございます。若殿の命により、千寿王様と奥方様を安全な所へ案内するために参りました。」
制止しながら落ちついて話す紀五左衛門という男、実は上杉清子の要請で上杉家から派遣されてきた切れ者の男であった。彼には上杉清子から、くれぐれも高氏の命令で来た事にするようにと厳命があった。
「なにを申す。屋敷の外を警護する兵はすべて我が北条の精鋭なるぞ。ここをおいてどこにより安全な地があろうぞ。」
登子は北条一族の赤橋家より嫁いだ女であった。執権とはいとこ同士であり身内であったため尊氏謀反の事情を知らされていなかったのである。
「お聞きください。若殿は京都において源氏の頭領としての御旗をあげられました。もはや鎌倉様は御敵にございます。このうえは千寿王様のお命があぶないのです。」
登子の顔から血の色が消えた。まさかそのような、と絶句したまま気を失ってしまった。
「むしろ、その方が良いかも知れぬ。」
紀五左衛門はつぶやくように言うと、一緒に連れてきた配下の者に指示し、登子と千寿王を連れ、闇の中に消えた。
鎌倉をたった使者は長崎勘解由左衛門(ながさきかげゆざえもん)と諏訪木工左衛門(すわもくざえもん)の二人を中心とする一行だった。一行が駿河の国の高橋駅(現在の清水市)に到着したころ、京都の異変を伝える早馬に出会った。その内容たるや最悪で悲惨な物であった。幕府主軍の名越軍が壊滅。足利高氏は謀反により六波羅を攻撃中。至急の援軍が必要という。長崎と諏訪は慌てた。直ちに早馬を立てると鎌倉をめざした。
途中箱根を越えたあたりで、二人は奇妙な山伏の一行に出会った。風体こそ山伏ではあったが、その中に幼少で色白の、どうみても山伏とは見えない者が混じっている。なにか胸騒ぎがした長崎勘解由左衛門は、早馬を止め、山伏一行に近づいた。
「そこの修験の者。連れている稚児は何物ぞ。鎌倉を逃れんとする足利の者と見たが、笠を取りて顔を見せよ。」
すると山伏の先頭を急いでいた者が足を止め笠を取らずに答えた。
「何を仰せられます。我ら修験の身なれば中には修行の足りぬ者もございます。これより二所権現にて修験の為に先を急いでおりますれば、お引き留めは無用に願います。」
しかし長崎勘解由左衛門の疑いは解けなかった。
「まこと修験の者なれば、勧進帳を披露なされ。」
と、詰問した。たわいのないことと懐より取りだした勧進帳をすらすらと読み上げる山伏に諏訪木工左衛門が思い直したように言葉をはさんだ。
「長崎殿、とんだ時間を無駄にしたようでござる。いざ鎌倉へ急がねば。」
うむと無念そうな返事をした長崎勘解由左衛門が馬にむちを入れようとした時、ふと先ほどの稚児に目が止まった。
「そこの稚児、名を何と申す。」
一瞬の静寂が横切った。
すると突然二人の間に割って入った先ほどの山伏が声を荒げ、
「おまえが未熟なばかりに疑われる。そこになおれ。」
と、稚児を打ち据えようと構えた。
それを見ていた諏訪木工左衛門が長崎勘解由左衛門に耳打ちした。
「まあよいではないか。たとえこの者共が足利の者とて、あそこまでして主君を守ろうとする心掛けは見事ではないか。まして間違って本物の山伏を捕らえたとあっては末代までの恥辱となろう。」
しかし、執拗な長崎勘解由左衛門はついに稚児の笠をはぎ取った。そこには修行の山伏とは明らかに違う若武者の姿があった。
「無礼者。」
稚児の言葉に、もはやこれまでと先ほどの勧進帳を読み上げた山伏がふところより短刀を出すと、みずからの腹を切り果てた。そばには白紙の勧進帳が落ちた。薄々と感じとっていた諏訪木工左衛門は、この哀れな一団を観ぬ振りしてやりすごしてやりたいと思っていた。が、その自害した家臣らしき者を見て心が変わった。
「まことの武士であるならば、主君を残して先に果てるなどと愚かな事はしない物だ。取り残された者がどのようになるかを思い知らせねばならぬ。」
一行を捕らえた二人は、その稚児の首をはねると近くの浮島が原のなるべく人目に付くところにその首をさらした。
足利高氏の嫡子竹若の哀れな末路であった。
※この部分は、有名な「勧進帳」のパロディで、作者(藤田)の創作です。小学生の方からご質問がございましたので、注釈とさせていただきます。「太平記」は、かなりの部分で「平家物語」を強く意識して、場合によっては、露骨な盗作や、またはパロディと思わせる記述も各所に書かれております。この竹若最期の場面は、「太平記」に書かれているものですが、そのような背景から思いつき、「勧進帳」パロディとして書き直しました。
 

著作:藤田敏夫(禁転載)

 
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