南北朝正閏論纂(1)
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 鎌倉末期から室町時代にかけての動乱期には、京都の天皇と吉野の天皇と二系統が同時に存在し、これを南北朝と呼んでいます。ところが、天皇はつねにひとりであって、同時に二人の天皇が存在したというのは誤りだという考え方が第二次世界大戦前までありました。
 ではどちらが正統で、どちらが閏統かという論争のことを「南北朝正閏論争」と呼びます。ちなみに閏統(じゅんとう)という言葉は、現在ではなじみのない言葉ですが閏年(うるうどし)という表現で現在でも使われる閏という文字で、正統ではない、という意味に使われます。もっとも閏は本来「うるう」とは読みませんで、閏年を「うるうどし」と読むのは「潤」と混同したための誤読と言われています(広辞苑)。
 明治44年11月3日発行とあるだいぶ古い本で『南北朝正閏論纂(なんぼくちょうせいじゅんろんさん)』という本があります。この本が発行された時代背景と、その中身について、これから少々お話いたしたいと存じます。著者は、山崎藤吉、堀江秀雄となっており、頼山陽に始まる「南北朝正閏論」を体制側に立って編纂した本です。従って当然本文は南朝正統説を唯一絶対の物と説いています。
 正式書名は、『南北朝正閏論纂』。発売元は、『皇典講究所 國學院大學 出版圖書販賣所』です。たぶん、『皇典講究所』と『國學院大學』の共同発行で、発売が『出版圖書販賣所』なのだと思います。
 この本が編纂されたきっかけは、本文を読むと、どうやら大逆事件にあったようで、皇室不敬の風潮を嘆く著者らが南朝正統説を信じる事が国民の道徳である事を広く訴えようと編纂を決意した様子が読み取れます。そこに、教科書問題という新たな問題が国会でも取り上げられ社会問題として注目を浴びました。これは、当時の尋常小学校の国定教科書に、『南北朝の対立』とあるのは、北朝の存在を認めない国の方針に反するというもので、教科書の変更が要求された事件でした。
 『南北朝正閏論纂』は、ヒステリックに北朝抹殺を叫んでいる訳ではなく、『南北朝対立説』、『北朝正統説』、『南朝正統説』が、それぞれ学問の世界では真面目に研究されている事実を認め、それぞれの学説を(偏見はあるものの)詳しく紹介し、しかも、南北朝が一時期同時に存在した事実を事実であると認めたうえで、純粋な学問としての研究発表と、子供達が学ぶべき道徳は違う物であるべきと論説しています。つまり『南朝正統説』は、国の方針であり、維新の先駆者はそれを信じて戦った。今ごろ南北朝対立時代があったなどと言っては反道徳的であり、しかも万世一系を高らかにうたう憲法にも違反する不敬行為でもある。という事です。学者は学問の世界に留まっているべきという思想が全体に貫かれています。
 歴史の教科書の検定に歴史学者を置いておくからこういう過ちを犯すのだという、今の時代の一部の主張に良く似た考えも持っていた著者で、その点では、まるで「時代を先取りした」人物のようです(冗談ですが)。
 『正閏論』は、現在では無意味な論争として相手にもされませんので、実際当時の研究者の熱い情熱は、今日ではあまり理解されていないようです。危険な皇国史観が国の進路を誤らせていく過程に出版された書物です。少し前ですと、こういうたぐいの本を読んでいるというだけでウヨクと呼ばれたりしたものですが、さすがに最近は影を潜めました。
 

著作:藤田敏夫(禁転載)

 
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